2016年9月19日月曜日

強い者が弱い者の弱さを担う

今日の授業では、粟谷塾の本来の目的について話しました。
その目的とは、[信頼関係]の実現です。
その目的を達成出来るなら、形は変幻自在です。
生徒達が正しく[信頼関係]の実現に向かえるなら、[学力]が伸びるのは当然の事で、わざわざ目指すほどの事ではありません。

それにしても、[信頼関係]を実現する為には、助け合う気持ち、支え合う心が必要です。
それは、仲間の弱みを責め合う事ではありません。
仲間の弱みを隠し合い、無い事にし合う事でもありません。
それは、仲間の弱みを理解して補う事です。
仲間がいつかその弱みを克服する事を願って待つ事です。

私は今ではもうクリスチャンではありませんが、聖書の次の言葉はやはり至言だ、と思います。
ローマ人への手紙15章1節(オンライン聖書-回復訳)です。
わたしたち強い者は、弱い人たちの弱さを担うべきであって、自分を喜ばせるべきではありません。
「わたしたち強い者は・・・」と云う言葉が示すように、精神的に強くなった者はその事を自覚すべきです。
とは言え、それで悦に入ったり自分のプライドに固執したりするのでは、強くなった意味が有りません。
強くなった者は、その強さを、まだ強くなっていない仲間の為に発揮すべきです。
そのような自己犠牲の姿勢無くして、[信頼関係]の実現は、覚束無いでしょう。



上の絵(出所)は、19世紀スイスの画家、ロベルト・ツント Robert Zünd (1826~1909)の「エマオへの道 Der Gang nach Emmaus (The Road to Emmaus)」(1877年、ザンクト・ガレン美術館蔵)です。
秋色の絵です^^

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