2016年12月19日月曜日

君が居なければ

生徒が私の大好物であるポテトチップスを差し入れしてくれました。
ちゃんと覚えていてくれたのだそうです。
以前、私の父が突然上京してきて、「土産だ。」と言って、私の唯一食べられない食べ物である蜜柑を持ってきた時の面子も、同じ面子でした。
とは言え、そちらも良い方向に向かうでしょう。



『民間文教施設“粟谷塾”の理念』の講義は2回目です。
『民間文教施設“粟谷塾”の理念 総論』から、[自信][勉強][学力][意志][恩][信頼関係]の各語の定義を扱いました。
部分部分ではしょっちゅう話している内容ですが、全ての関係を整理して纏めた形で話す事はこれまで殆ど無かった、と思います。
と言うのは、私自身、ここまで整理して纏める事が出来たのは、初めてだからです^^;
当塾において、極めて重要な内容です。
生徒も良い心構えで臨んでくれました。
特に、[学力]より先の、[意志][恩][信頼関係]について、意義深い講義、[対話]になった、と思います。

[自信]を持てるようになり、[勉強]を出来るようになり、[学力]が伸びれば、[意志]が分かる、と言えるのはなぜか?

先ずは、「[学力]が伸びれば、[意志]が分かる!」と言える理由です。
所謂普通の“させられる”「勉強」をする時には、その「勉強」の内容を扱うのはなぜか、その「勉強」の内容は既知のどの知識や経験と結び付いているのか、その「勉強」の方法はなぜそのようなのか、等々その「勉強」に纏わる事が何も分かりません。
自分がするその「勉強」を方向付けているのは、自分ではなく、自分にそれをさせている人だからです。
それに対して、[勉強]をする時には、そのような事柄は皆分かります。
厳密に言えば、自分以外の誰にも分かりません。
自分がするその[勉強]を方向付けているのは、自分だからです。
ですから、[勉強]をし、それを自ら見詰め直し、推し進める力である[学力]が伸びていくに連れて、自分が自分の活動をどのように方向付けていて、どのように方向付けたいかが分かるようになり、[意志]が分かるようになります。
[勉強]をすると今までとは違った世界に出合える、と言うのはこの事であり、この事は経験した人でなければ分からないかも知れません。
粟谷塾の生徒・保護者には、是非ともこの境地を味わい、常に味わっていてほしい、と思います。
何しろ、粟谷塾では、これは目的でも目標でもなく、通過点であり、粟谷塾の生徒達が経験する事になっている成長の、まだ半ばですから。

[恩][意志]から出る、と言えるのはなぜか?

次に、「その[意志]から出る[恩]…」と言える理由です。
[恩]は、形だけ言葉だけの「感謝」とは違い、その漢字の成り立ち通り「因む心」を意味しています。
“因”と云う字は、人が布団に体を預けて横になっている様子を示している、と言われています。
その事が象徴するように、[恩]は、人が自分一人の力では何も出来ない事を率直に認めて、互いに体を預け合い支え合いたい、と思う心とその表現を意味しています。
つまり、相手の親切を有り難く受け入れて自分を委ね、自分も立場を入れ替えて相手を支えたく思う、そのような心とその表現です。
そのような強い気持ちを特定の相手に対して持つには、[意志]が必要です。



[恩][信頼関係]に至るには何が必要か?

最後に、「…[恩]によって結ばれた[信頼関係]の実現を目指す!」を可能にする条件に注目しました。
私は[恩]を、「因む心。相手と頼り合い支え合う意識で関わろう繋がろうとする心」と定義しました。
言い換えれば、上記の通り、「人が自分一人の力では何も出来ない事を率直に認めて、互いに体を預け合い支え合いたい、と思う心とその表現」「相手の親切を有り難く受け入れて自分を委ね、自分も立場を入れ替えて相手を支えたく思う、そのような心とその表現」と言う事も出来ます。
つまり、[恩]には相手が居る訳です。
その相手も[恩]の心を持ち、示してくれる人でなければ、[信頼関係]は成立しません。
しかし、相手がそのような人であるかどうかは分かりません。
ですから、[恩]は、この意味でギャンブルのような物です。
多くの人は、[恩][恩]で応えてくれはしないでしょう。
しかし、それを理由にして、自分が[恩][恩]で応えない人になってしまっては、本末転倒、「ミイラ取りがミイラになる」の諺通りで、自ら[信頼関係]の実現から離れていく事になってしまいます。
ですから、私は、粟谷塾で[信頼関係]を実現する為に、粟谷塾に出来るだけ[恩][恩]で応えてくれる人を募らなければなりません。

粟谷塾では、生徒達は皆、誰が誰に[恩]を示したかを大抵知っています。
なぜなら、それらはいつも、興味深いエピソードになっているからです。
それらを一人一人改めて確認しました。
それぞれ何らかのエピソードを持っています。
そして、それらのエピソードの多くは、[恩]を示された生徒の[自信][学力]の向上、と云う結果で終わっています。
その途上と言えるエピソードも有ります。
『民間文教施設“粟谷塾”の理念』の一連の段階は、螺旋階段のように、レベルを上げていきながら繰り返されるのです。
しかし、それだけでは足りません。
[恩]を示された生徒が[恩]を示してくれた生徒に[恩]で応える所までには、まだ至っていないからです。
自分に[恩]を示してくれた生徒は、自分がその生徒に応える[恩]を認めて受け入れてくれるでしょうか?
どの生徒にとってもそうであってほしい、と切に願うばかりです。
粟谷塾の皆が主体的に[恩]を示し合い、[恩]を受け合い、その密接な絆が網の目のようになって、皆の[信頼関係]が出来ていく事を願っています。

参考ページ

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