2017年6月20日火曜日

先生!お久し振りです!

先の記事、「新しい生徒を迎える事よりも戻ってくる生徒を待つ事を優先して全てを犠牲にしてきた事」で、
私が新しい生徒を迎える事よりも不本意な仕方で去った生徒達が戻るのを待つ事を優先してきた
事を書きました。
新しいメンバーを募るのではなく、もう一度同じメンバーで仕切り直ししたい、と云うのは、残った生徒と私の共通の願いでした。

しかし、そうやって待つ事にも潮時が来た、と先週判断しました。
私にお金を請求する立場の人が、どうも私に直接請求するのを避けているようで、その代わりに懲役刑も有り得るような犯罪に手を染めている可能性が出てきたからです。

私は、この塾に集まってくれた人達が、この塾の理念の通りの進歩・成長を遂げられるように、多少非常識だとしても、全力を尽くしてきました。
その為、特にこの経済的な苦境の間、責められるべき事については徹底的に謝り、責められるべきでない事については徹底的に闘ってきました。
その事は少なからず方々に伝わっているでしょうから、この人もそれが原因で私を避けたのかも知れません。
(そして、私と話した結果、犯罪の可能性を自ら露にした訳ですが…。)
いずれにしても、私が彼らの為に無理を通し続ける事で、この事には直接関係の無い人が犯罪者になってしまう(犯罪者になる道を選んでしまう)とすれば、最早、待ち過ぎだ、潮時だ、と思うのです。

そして、先週、もう待たない事にしました。
それでも、私が、この塾に集まってくれた人達の事をどれほど大切に思い、どれほど優先し、どれほどの覚悟でそうするのか(そうしているのか)、と云う事は、十分に示せた、と思います。
それが彼らの中の誰にも伝わっていないとしても、今居る生徒達には伝わったのは、先の記事にも書いた通りです。

今、新しい生徒・保護者を募り、迎える為の準備をしています。
近い内にそれを公開し、それからは粟谷塾の新しい時代に入ります。

ただ、彼らを待たない事にすると、「今のこの苦境は誰の為?何の為?」と云う事になるのは避けられません。
勿論、今居る人達、これから来る人達が、私と粟谷塾のこの経験、この歴史から学んでくれるだろう、とは思うのですが、「だから、まぁ良いか!」と思えるようになるのは、もっと先です。
その意味で、今が一番苦しい時です。

そんな時にも、有り難い事に、“地獄で仏”と言うべき事が有りました。
今日、外を歩いていると、暫く顔を見なかった郵便配達員のSさんが「先生!お久し振りです!」と声を掛けてきてくれました。
私が一度ここを出ざるを得なくなり、再び戻る事になった時に、電話を掛けてきてくれて、転送届を適切に処理して、迎えてくれた郵便配達員のSさんです。
Sさんが粟谷塾の生徒である訳ではないのですが、ずっと私を「先生」と呼んで遇し続けてくれています。
そのSさんが今日もまた私に掛けてくれた言葉は、本当に励みになり、力を与えてくれる一言でした。
ただただ有り難かったです。




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