2016年8月19日金曜日

おじいさんの時計

今日、授業で小学生の生徒と散歩をしていると、生徒が突然、「♪大きな古時計♪の古時計もおじいさんなんですね!」と言い出した。
「おじいさんの時計」と云うのは、「おじいさんの所有する時計」であるだけでなく「おじいさんである時計」でもあるのではないか、と云う事だ。
そんな事、私は考えた事も無かったけれども、確かにその方が含蓄が有りこの曲に相応しく、目から鱗が落ちたような心地がした。
この家の家族も、歌詞に出てくる「綺麗な花嫁」も「皆」も、「おじいさん」と「古時計」と云う二人のおじいさんに見守られながら長い年月暮らしてきたのだ。

うちの塾に、6人掛けの大きなテーブルが在る。
6人掛けと言っても、一つの椅子に二人で座りたがる子達も何人も居た。
このテーブルも、粟谷塾に来た生徒達を長年見守ってきた。
このテーブルをいつどう云う経緯で買ったのだったか、私は正確には覚えていないのだが、遅くとも私が22歳の時には有ったので、23年かそれ以上経つ。
横須賀でこのテーブルに着いたどの子よりも年上だ。

今、粟谷塾では、今まで通り[勉強]をしに来る生徒達に加えて、学齢期を終えて私と共に[レポート]を書く事を仕事にしたい生徒達をも迎えられる準備をしている所だが、しばらく前の或る日、生徒の一人とこんな話をした。
「仕事で[レポート]を書きに来る生徒達は昼間のクラスで、学校から帰ってきた生徒達は夕方以降のクラス、と考えれば良いね。」と私が言うと、その生徒は少し寂しそうに「分けるんだ…。」と言った。
昼間から来て仕事をしている年上の生徒達が、夕方学校から帰ってきた年下の生徒達を「お帰り!」と迎えて、一緒にこのテーブルを囲んでも良いのだ。
皆で、塾の全員で、このテーブルを囲む事にこそ、意義が有るのだ。
私自身、この特異で小さな塾では、誰が仲間なのか、全員が全員を知っている事が極めて大事だ、と思ってきた。
そんなこの塾の中心に、常にこのテーブルが有った。
愛されてきたテーブルだ、と思う。

横須賀で最初に粟谷塾を開いた部屋を、土地と建物を売却したい家主の意向を受け入れて引っ越す事にし、その事を生徒達に伝えた時、好奇心に溢れた沢山の「おぉー!」の中に、幾つか嘆きの「おぉー!」が有った。
私は、愛着の有る教室を後にする事を嘆いた生徒達に、「気持ちは分かるが、物に執着するな。借りている部屋は家主の物だ。粟谷塾の真髄は皆の心の繋がりの中に在る。」と話した。
今でも私は、その言葉が間違っていたとは思わない。
しかし、このテーブルは私の物だ。借り物ではない。



歌詞の中で、古時計は、時におじいさんの持ち物であり、時に年老いた古時計であり、また、時におじいさんの命の象徴でもありながら、目くるめくメロディーの中を流れていく。
「天国へ上るおじいさん 時計ともお別れ」・・・おじいさんは、生まれた日から友達だった時計の魂と共に、空っぽになった時計を見下ろしながら、天国へ上っていったのだろうか。



Amazon.co.jpアソシエイト


このブログは、粟谷塾公式ウェブサイトの併設ブログです。

ランキングに参加しています。応援クリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村


0 件のコメント:

コメントを投稿